夢・愛・感動を子ども達に伝え続け40年
劇団天童 代表 浜島代志子

劇団天童 代表 浜島代志子

おはなしキャラバン。松戸市の小学校に通っていた人ならば、この団体の人形劇や芝居に一度は触れたことがあるのではないか。3年前に惜しまれつつ閉鎖となったが、一時は年間250を超える公演を行ってきた。「全ては子ども達の情操教育のために」そう言いきる劇団天童代表 浜島代志子は、芸術・文化での地域再生に今もなお力を注ぎ続ける。

— 浜島さんが松戸で活動を始められたきっかけは?
浜島  夫の転勤で生まれ育った神戸から松戸に来たのが昭和39年。松戸で3人の子どもを産み・育てましたが、当時は図書館も少なかった。子どもがイキイキと成長できる環境には、文化・芸術は欠かせません。稔台地区での図書館設置運動に取り組みながら、人形劇やお芝居を実際に子ども達の前で演じたりもしていたんですよ。
— それがおはなしキャラバンのはじまりですね。
浜島  そうです。社会的に認められる活動にしようと、昭和50年に財団法人として松戸市おはなしキャラバンを立ち上げました。
— おはなしキャラバンを続けながら、この劇団天童も設立されましたね。
浜島  キャラバンは、子ども達に観てもらうものでした。一方で、人形劇やミュージカルなどの物語芸術を実践できる場所づくりも重要だと考えるようになりました。そして平成7年に劇団天童を発足し、子どもから大人までが高いレベルのレッスンを受講できる環境を作ったのです。

今こそ文化・芸術を通して地域に根付く人材育成が必要

— 演じることと指導すること。その双方を手がけようと思ったのはなぜですか?
浜島  平成7年に劇団天童を創設したきっかけとして、その年の阪神淡路大震災があります。神戸で育った私は、故郷が被災したことに大きなショックを受けました。その時に、物は壊れなくなってしまうが、教養や豊かな心は失われないことに気付きました。ですから、鑑賞してもらう場と実践できる場との双方にすそ野を広げて活動しようと思ったんです。
— 今年は東北大震災で、多くの地域が被災しましたが、浜島さんの活動に影響はありましたか?
浜島  東北の方々には、以前から声をかけていただき、よく公演にも行っていましたので、本当に辛いことがたくさん起こりました。でも、だからこそ、改めて感動を伝え続けることの大切さを実感していますし、夢・愛・感動が復興の大きな力となると信じています。


浜島代志子

インドネシア生まれ。神戸大学文学部国文学科卒。神戸市立中学教諭を経て松戸市に住む。
財団法人松戸市おはなしキャラバンを設立し、各地で多数の公演をしながら劇団天童を設立。母・娘・孫の3代で舞台を演じることもあり、世代を超えた絆の大切さを伝えることは劇団天童のテーマのひとつでもある。

劇団天童

松戸市金ケ作24-1 第五泉ビル2F GoogleMap
TEL. 047-703-7932
http://gekidantendou.com
http://ameblo.jp/gekidantendouhamashima/

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